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 この忠霊の霊碑は昭和56年5月8日に被爆者の鎮魂と平和への新たなる祈りを捧げるために建立されました。
被爆者10人が亡くなり、後に後遺症により1人が亡くなりました。

坂元峯雄命(通町:14歳)、甲坂利男命(通町:14歳)、福田法城命(真方:14歳)

後藤憲幸命(堤:14歳)、山下四郎命(西小林:14歳)、川野利光命(加久藤町松原:15歳)

兒玉準一命(飯野町原田:14歳)宗方周太命(須木村原:14歳)、山口恵命(高岡町飯田:16歳)

狩集春雄命(高崎町上新田:14歳)

日本では、戦時中の昭和13年(1938年)から、国内の労働力不足を補うため、中等学校(現在の高等学校)以上の学生が工場や食糧生産の勤労奉仕を行う
「学徒動員」が実施され、昭和19年以降は、戦局の悪化から通年動員となりました。
戦前、都城市にあった川崎航空(現:川崎重工業)の都城工場に学徒動員の小林中学校(現:小林高等学校)3年生157名が、
現在の都城農業高校グラウンドがある位置に建てられた「高千穂寮」で寄宿生活をしていました。
昭和20年5月8日、川崎航空都城工場の食堂で朝食を済ませた午前7時20分頃、突如空襲警報が鳴り、防空壕に避難する途中に動員学徒(旧小林中学校生徒)が、
米軍のB29が投下した爆弾の直撃を受け、一瞬にして10名の死者(のち11人の洵没)が出て、多数の負傷者が出ました。

㈱緒方組(小林市本社)は没後80年の今年、慰霊碑周りのシート張替えを行いました。
改めて被爆者の鎮魂と平和への新たなる祈りを捧げ、戦争のない平和な世界を築くために微力ではありますが労を惜しまず取り組んでまいります。